煉瓦(れんが)からみえる群馬県の建造物歴史
煉瓦(れんが)からみえる群馬県の建造物歴史
日本の昔ながらの建造物はご存知の通り木造で瓦屋根、土壁・漆喰壁といったものが主流でしたが、日本でも煉瓦の建造物が流行した時代がありました。
群馬県にはその頃に建造された煉瓦造りの建造物が現存しています。また、煉瓦は建築材料というだけでなく、日本の建造物の歴史に大きく関わっていたのです。
そこで、煉瓦から見える群馬県の建造物の歴史を見てみたいと思います。
煉瓦の歴史
煉瓦の歴史
DTYが流行っている昨今、外壁や内装のアクセントとしたり、エクステリアの装飾としたりと煉瓦を用いてお洒落な住まいづくりをされている方も多いのではないでしょうか。
洋風の雰囲気が増し、新しいのにレトロ感もかもし出すのは煉瓦ならではといえます。
そんな煉瓦はいつ頃できたのでしょうか?
なんと、紀元前4000年前のメソポタミア文明の頃にできたのです!
チグリス川、ユーフラテス川にわたる広大な範囲で、煉瓦が建築材料として使われるようになりました。エジプトの気候は、雨がほとんど降らず乾燥していて、夏は強い日差しで大変に暑く、3月から5月ごろには砂嵐が吹きすさみます。また、木々が少なく砂漠地帯です。
そのような地域では、土を固めて日干しした煉瓦を泥で接着させて積み上げてできることから建築材料として生まれました。
その後、煉瓦は日干しした後に更に焼き上げることにより雨にも丈夫なものになりました。
煉瓦には、
- 耐熱性
- 断熱性
- 保温性
- 耐久性
- 耐火性
- 低吸水性
といった特徴があるので、とても優れた建築材料です。
エジプトと同じように、日差しが強く湿度が低いローマにおいても煉瓦は建築材料として用いられており、エジプトとはまた違う製造・建築方法を成し遂げていきました。それが、ヨーロッパ全土に広がり煉瓦建築は各地域で独自の進化を遂げていきました。
本格的に日本の建造物に煉瓦が取り入れられる
本格的に日本の建造物に煉瓦が取り入れられる
本格的に日本の建造物に煉瓦が取り入れられるようになったのは、幕末から明治にかけての頃です。
幕府お抱えの外国人技師の指導により煉瓦製造・建築が始まりました。
江戸時代頻繁に発生していた火災では、木造の建造物は燃えやすく、密集して建てられていた江戸の城下町では多くの命と屋敷が大火により失われていました。
そして、煉瓦製造が盛んになったきっかけが、明治5年2月におきた、和田倉門内旧会津藩邸(現皇居外苑)から出火した火災でした。この火災により丸の内、銀座、築地一帯を焼失させました。
政府は再建にあたり西洋流の不燃都市の建設を目指し、「火災に強く、腐らない」煉瓦の家屋建築計画を進すすめました。それにより、大量の煉瓦が必要になり煉瓦製造が盛んになったのでした。
政府により区画整理された銀座は、煉瓦建造の洋風2階建ての家が建ち並び「銀座煉瓦街」と呼ばれました。
現在の埼玉県深谷市に煉瓦製造会社の工場をつくり、ドイツ人技師チーゼを招いて操業が始まりました。
煉瓦製造会社の工場で製造された煉瓦は、司法省(現法務省)・日本銀行・旧東京裁判所・旧東京商業会議所・赤坂離宮・旧警視庁・旧三菱第2号館・東京大学・東京駅など明治から大正にかけての代表的煉瓦建築に使われています。
文化財指定の群馬の煉瓦建造物
文化財指定の群馬の煉瓦建造物
煉瓦の建築構造としての積み方は、フランス積み(フランドル積み)やイギリス積みなどがあり、日本では明治初期までフランス積みが主流でした。
フランス積みで建てられた建造物のひとつが群馬県富岡市にある「富岡製糸場」です。富岡製糸場は、フランス人技師のオーギュスト・バスティアンが図面を引き、日本人の大工や職人によって建てられました。木の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という西洋方式で建築されたうえに、屋根は日本瓦葺きといった和洋が見事に調和した建造物で、
■参照:世界遺産 富岡製糸場|建物紹介
一列に長手と小口が交互に並んでいるフランス積みは見た目が優美であり人気でしたが、イギリス積みの方が合理的で堅固であると考えられ、イギリス積みへと移行していきました。
イギリス積みは一つの列は長手、次の列は小口、また次の列は長手と重ねてゆく積み方です。
イギリス積みで建てられた建造物が群馬県桐生市にある「ベーカリーカフェ レンガ」です。現在は美味しいパンをレトロな屋内でゆっくりと楽しむことができるベーカリーカフェとして営業していますが、建物は大正9年にのこぎり屋根工場として建造されたものです。
されています。
■参照:ベーカリーカフェ レンガ
幕末から大正にかけて盛んであった煉瓦建築ですが、地震大国である日本では煉瓦を用いた当時の構造は地震には弱かったのです。銀座煉瓦街は大正12年に起きた関東大震災によりヒビなどの大きな被害を受け、続いて発生した大火により消滅しました。
そのようなことから、震災以降、煉瓦建築は衰退していきました。
なので、明治から大正に建てられたフランス積みとイギリス積みの建造物を実際に見ることができるのはとても貴重なことなのです。
まとめ
まとめ
当時は西洋への憧れもあったと思いますが、そこには見た目の美しさだけでなく火災に強く劣化しにくい利点を日本の建築に取り入れたかった先人達の思いが伝わってきます。
現在では煉瓦の耐震性に弱いという部分も煉瓦内部に穴をあけて、基礎から鉄筋を通す施工方法などで改善されています。また、壁を煉瓦で覆う工法や煉瓦調の模様のものなどDIYでも扱いやすいものが増えています。
それと、建築構造も日本の湿度の高い気候にあった施工によりカビの発生にも配慮されています。
文化財にふれより煉瓦の良さを感じてみてください。